一途に、一心に
天野は、執刀醫としてたずさわったおよそ6千の心臓手術で、98%という羣を抜く成功率をおさめてきた。この成功率を支えるのが、「一途に、一心に」、人生の全てを手術にささげようとするその姿勢だ。
急を要する患者の連絡が入れば、どんなに疲れていようと、手術室に向かう。月曜から金曜までは自宅に帰らず、醫師室に泊まり込み、24時間體制で患者を見守る。こうした生活を30年近く続けている。日本の心臓外科醫が1年間に行う執刀數は50件が平均という中で、天野の年間執刀數は400以上と驚異的な數。「手術をしていないと、怖い」という天野。この圧倒的な経験値が、手術を成功に導く。
どんなに困難な狀況に直面しても、その手が3秒と止まることはない。膨大な過去の経験から、最善の一手を選択し、冷靜に手術を進める。
生きる喜びを、取り戻す
多くの心臓外科醫たちが、天野を「日本一丁寧な手技を行う」と評価する。実は天野の持ち味は、當たり前のことを愚直に突き詰めるその姿勢にある。例えばバイパス手術の材料として取り出した血管。天野は、血管の周囲についた脂肪や、外膜と呼ばれる薄皮を、しつこくつまみ取る。さらに、枝のように伸びた1ミリ以下の細かい血管も、1本1本糸で縛る。成功は細部に宿る。ほんのわずかな凹凸も全て取り除くことで、血管をつなぎ合わせた時にスムーズな血流が生まれる。通常のバイパス手術では、血流が80%回復すれば成功といわれるが、天野のそれは、ほぼ100%の流れを生み出す。単に生き延びるための手術ではない。「生きる喜びを、取り戻す」こと。術後の不安や、再手術の芽を取り除き、最終的には、患者が手術したことさえ忘れてしまうような治療を、常に目指している。
1糸の重み
天野は目の前で、父の甲子男さんを亡くしている。若き頃、第一助手として立った父親の心臓手術。心臓に縫い付けた人工弁の糸が1本緩み、それがきっかけとなって、父親はかえらぬ人となった。天野は、「父は、心臓手術でこうしてはいけないということを、自分の命とひきかえに教えてくれた」という。そこから天野の、一つ一つの手技に対する厳しさが生まれた。「自分は誰よりも、「1糸の重み」を知っている」。多くの部下を率いる立場になった今でも、體裁にこだわらず、時には縫い直しをしてまで、丁寧な手技を突き詰める。「ただ父親に褒められたいだけ」という天野の機の中には、今も父の形見の人工弁が入っている。